1 月 6th, 2009
今から二十八年前、(平成七年当時)私は山梨県の八ヶ岳山麓の寒村に、絵を描くための仕事場を持った。
村はずれのタンボに文字通りの掘立て小屋を作って仕事をはじめた。立木一本ないタンボの中の低いトタン屋根の小屋。高原の真夏の太陽の下では、小屋の中は火にかけられたナベのよう。暑さにたまりかね、外に出ても小屋の周りには木陰もない。
冬はもっと凄かった。古いトタンや木っ端で囲った小屋に、強烈な八ヶ岳おろしが吹きつけ、夜は氷点下十度にもなる。
夏、仕事ができるのは夜だけ、冬は風のない昼間だけ。
それも電気がないので、夜の仕事は石油ランプのわずかな光だけだった。水道も、ガスもなく、水はガケ下を流れる農業用水のものをろ過して使い、煮炊きには薪を燃やした。
水道だけは村の好意で三年後に引いてもらったが、電気がきたのは九年後だった。
暗いランプの光で、こまかい銅版画の線を彫るのは、苦行以外の何ものでもなかった。
よく、夜中にタバコを切らして、自転車で谷の橋を渡り、川向こうの隣の村に行った。真っ暗闇の村の中ほどに、タバコと飲み物の自動販売機があったが、その明るさは、強烈な驚きと羨望、そして何かあきらめに似た感情を、私に起こさせた。 また、西の丘の国道を走る車のライトが、闇の中を狐火のように並んで通るのを見ている時、私は常に奇妙な感覚におそわれることに気がついた。
非現実感・時間・空間のずれ・・・己の存在の不確かさ、身の回りのあらゆる物との不思議な距離感・・・・・・などなど。
うまく説明できないが、要するに、身の回りで起こっているあらゆる現実との同時感が希薄になって行くのだ。
そんなある日、まるで何者かにいざなわれるように、長野県側だがおなじ八ヶ岳南麓にある井戸尻考古館にはじめて足を踏み入れた。そこには東洋一、つまり世界一の収蔵量を誇る縄文土器が並べられていたのだ。
それまで、縄文のジョの字も知らなかった私は、あの奇妙な物体を眼前にした時、感動のあまり失禁してしまった。 何というなつかしさ、なんという安堵感・・・・・・。日頃感じていた現実との遊離感、時空のずれ感覚は一挙にかき消され、確固たる現実感の中に自分が存在しているのを感じたのだ。
そして、ガラスケースの内側に並ぶ土器群を見てるうち、小さな一つのツボの前で、私は動けなくなった。
そのツボは、他と比べて決して見栄えのするものでも、秀逸なものでもない。むしろ不出来なものに思えるものだったが、、初めて見たにもかかわらず、胸があつくなるほど懐かしさがこみあげてきた。
まるで自分が造った物と再会したような思いだった。そして、そのツボが作られたであろう五千年前に想いを馳せながらツボをみつめていた。すると、そのツボが、私に語りかけてきたのだ。
「何処をウロウロしているんだ早く帰ってこい。家を忘れたのか?みんなが待ってるぞ!」
そのとき、私のとてつもなく深い奥底から、得体のしれない熱いものが溢れてきた。
それ以後、私の日常生活での非現実感は、益々強くなっていった。常に、という訳ではないが、「今、自分は未来の時・空の中で生きている・・・・・・」という感覚に圧倒されるのだ。
そんな時は、あらゆる出来事、事物を目の前にして、「あゝ、未来はこうなるのか・・・・・・」と思いながら恐ろしいほど醒めた目で見ている自分に気がつく、相手が人間の場合は、それがもっとはっきりしているように思えた。
例えば、女性と知り合い、仲良くなる。そして親しさが増せば増すほど、現実感は薄くなり、「私は、今にこの人と出会い、このように親しくなるのか・・・・・・。楽しみだなぁ・・・・・・。でも、それはいつのことなんだろう・・・・・・」。だが、私の思いとウラハラに彼女の温かい肉体は。厳然と私の腕の中に在るのだ。
私の感覚では、その「時・空」のずれはあのツボ以来五千年に及び、縄文中期のある時点から未来である現在を、見、聞き、触れている感じなのだ。
少年の頃、交通事故で両足を失い、三十半ばで破傷風の手遅れ状態、四十後半で数ヶ所に散らばってしまったガン。そのいずれからも九死に一生得てきた私の内部で、何か、このような感覚を起こす事が生じたのか。
それとも、人間は誰でも、本来このような感覚を内在しているのか・・・・・・。
ことあるごとに想いをめぐらしていた時、私は、中南米の文学にめぐり会った。
中でも、アルゼンチンのボルヘス、ビオイ・カサレス、コロンビアのガルシア・マルケス、メキシコのファン・ルルホ・・・・・・といった作家たちの作品は、めくるめくような時・空の錯綜する中で物語が展開し、現実と非現実の万華鏡の中に、読者はいつの間にか不自然さも感じずに立たされてしまうのを発見し、私が日頃感じていることが決して異常ではないのを知った。
(その後、それ等を生んだ中南米の風土に接したい想い止みがたく、中南米通いが始まったのだが、そこでの不思議な出来事は、他の機会にゆずる)
それと同時に私の絵はガラッと変わった。具体的なものが描けなくなり、抽象画へと変化していき、自分で自分の絵を理解するのが困難でさえあった。しかし、絵は、何者かに描かされているかのように、次から次ぎと湧き出るように生まれてきた。今、その当時の作品は数えたことはないが、千点を越えていると思う。
◆
さて、話を元に戻そう。
ランプ生活九年の後、私の小屋に電気が引き込まれた途端、小屋の中は一挙に電化製品で満ちてしまった。小屋も補修や改築をしているうちに、小屋から住宅風にと変わって行った。 今では、寒村もさま変わりした。曲がりくねって風情のある農道は消え、整然と区画されたタンボと、コンクリートで固められ、真っ直ぐに走る水路。田植えの時も、刈り入れの時も、機械の音と、その機械の上の人以外、何処にも田で働く人の影はない。
その代わり、かつては目にした事のない生活ゴミが、山野の至る所に散乱。かつて私が水をもらった川は、思いもよらない物まで乗せて、ベルトコンベアーのように流れて行く。変わらないのは、私の非現実感だけ。相変わらず、何がどのように変わろうと、今にこうなるのか・・・・・・という感慨があるだけ。
小屋が電化されたとき、なんか居心地が悪く、タテ穴縄文小屋を作って入ってみたが、何処か後ろめたさと不安しか感じなかった。
今は、電化製品なしでの生活は不可能になり、縄文小屋は朽ち果て、土に戻り、タテ穴の名残の窪みだけ。そして、目下最も欲しいのはパソコンであり、それをインターネットにつなぎ、世界の隅々からの情報が欲しい。
何故なれば、私は、私にとっての未来である現在に刻々と起こっている、この破滅的な現実の一部始終を、余すことなく見届けた上で、私のかえるべき時間や空間へ帰りたいと思っているのだ。
だが、私の帰る所などあるのだろうか。その後、何度、井戸尻に出向いても、、私に語りかけたあの小さな素焼きのツボがどれだったのか判然とせず、すべての土器は冷たい透明な時間に包まれ、深い沈黙に閉ざされている。
そして相変わらず、私の時空のずれ感覚だけは、無責任な傍観者としての視点を変えない。
ある辞書によると「人間が自然に手を加えて、形成してきた物心両面の成果が文化であり、文化の反語が自然である」と定義されている。世の中が開けて生活が便利になること。これも文化の定義の一つに入っている。
人類全体が、生活の便利さのために狂奔した結果、自然が破壊されるのは自明の理だ。自分が手に入れた便利さは絶対手放さず、それどころか、もっと便利にと望む一方で、自然を守れとヒステリックに叫ぶ、この大矛盾の中に、人類全体が陥っているさまは、正に狂気以外のなにものでもない。
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しかし、もう後戻りは絶対にできない。
行き着く先が何処であれ、行く所まで行かざるを得ないのだろう。
物理的に不可能な過去への後戻りを、精神的な時間・空間の中で現実を見い出そうとする風潮は、益々強くなってゆくにちがいない。
これは平成7年の11月にある機関誌にかいたもののてんさいです。
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10 月 19th, 2008

友人の紺野修司さんが 11月13日(木)から18日(火)まで新宿紀伊国屋画廊第38回シリーズ展①として、同画廊で個展をいたします。
たくさんの経歴の持ち主ですが、過去の経歴などどうでもよろしい。私同様たばこの吸いすぎで肺気腫になり、油絵の具のとき油の臭いがだめで、木炭による白黒の作品ばかりを手がけるようになりました。ちょっと動いても息切れがする状態で、大きなキャンパスを相手にするのがどれだけ大変か、同病の私にはよくわかります。
そんなきつい状態でも絵を描かずにはいられないのは何なのか?興味のある方は新宿紀伊国屋書店4階の画廊に是非おでかけください。本人に会いたい方は、会期中毎日、午後2時半から6時半まで会場にいるそうです。
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10 月 8th, 2008

今日十月八日から十一月三日まで、金子博子さんという若い人が、ガラスの展覧会をやっています。ガラスというとモダンなものが多いなかで、彼女のつくるものは、文化の古さといったらいいのか、遠いとおいい血の中の記憶が、郷愁のようによみがえって来るのを感じるような作品です。金沢に近い方は見に行ってください。
ギャラリーミュゼ 電話(金沢)076-263-1187
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10 月 4th, 2008

わたしが中学生だった、今から五十年ほどまえ、祖母に猫を捨ててこいと命じられました。祖母の飼う猫は代々、おすはコゾ、めすはタマと言う名でした。
その時のタマはわたしが小学三年生ごろから、一人ぐらしの祖母に飼われていました。むかしからの言い伝えで、飼い猫も十年経つと化け猫になり、飼い主にあだをなすといはれ恐れられていました。それを信じる多くの人たちは、どんなに可愛がっていた猫でも、十年経つ前に、猫が戻れない遠くへ捨てたのです。
人々はそのつらさを避けるため、子猫を飼うとき「三年たったら、出ていくんだよ!」と何回も言い聞かせるのがしきたりでした。
五十年まえ、東京近郊でさえ無医村が多く、まともな医療もうけられずどれだけ沢山の人が死んだかわかりません。ましてや猫が十年も生きられるのは稀なこと、それだけで、すでに化け猫だったのです。
さて私は、祖母が布袋にとじこめたタマを入れた大きな籠を背負わされて、三キロ先の多摩川に向かいました。袋ごとタマを川に投げ捨ててこいというのです。
かわいそうなのと、化け猫がおばあさんをかみ殺す恐怖とが、体の中で渦巻いていました。多摩川までの半分も来ないときでした。背中に衝撃を感じ、かごが急に軽くなりました。ふりむくと、布袋を食い破ったタマがくさむらに走りこむのが見えました。
それっきりタマは帰ってきませんでした。それから二年後、祖母が死にました。
通夜の日、庭のすみにある小さなお稲荷さんの社の前に猫がいました。見ると、それはまぎれもなくタマでした。名を呼ぶと目で返事をし、抱こうと近寄ると,暮れ始めた夕闇のなかに姿を消してしまいました。

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9 月 28th, 2008

日本ではむかしから猫を「魔性のいきもの」といって嫌がられたり、恐れられたりしてました。それは仏教が猫ぎらいのせいです。その訳は、お釈迦様が死んだとき、動物たちはみな悲しんで泣いたのに、猫だけは笑ってたというのです。
いらい不吉でいやなケダモノにされ、釈迦の臨終を描いた涅槃図にも、十二支にもいれてもらえず、欲張り、うそつき、どろぼうなどは「死後猫になる」と説いたお経まであるそうです。 ねこがいかに魔物で不吉でいやらしい生き物かを強調するための、恐ろしい化け猫のはなしはたくさんあります。わたしは子供のころ、一人暮らしの祖母のところにあずけられていました。
おばあさんは猫とくらしていましたので、よく猫のはなしをしてくれました。上の話もおばあさんから聞いた話だったとおもいますが、猫が死んだ人の上を飛び越えると、死人が起き上がっておどりだすと言う話は、今思い出しても怖いはなしです。
死人の胸の上に鋭利な刃物をのせておくのは、魔よけだというけど、じつは猫よけなのだそうです。この話の続きは次回にします。こわいですよ!
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9 月 25th, 2008

遠くから見たわが銀河
パソコンいじりが続いて目がつかれたので、ちょっと宇宙旅行をしていました。二、三時間ぶらぶらと星のあいだを飛び回ってきましたが、帰ってきたら三日も経ってました。
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9 月 21st, 2008

タゴベールの気晴らし 75x86.7cm テンぺラ画

ベット ルーム 63.5x86.5cm アクリル画
もう10年ほど前のことですが、東京駅のステーション・ギャラリーでキャリントンの展覧会が開かれたことがあります。それを観にいったときのことです。
たまたまわたしと前後しながら、会場をめぐっていた初老の夫婦らしきカップルがいました。変な人たちでした。だんなの方は絵の前に立つと、小声で長々としゃべり始めるのです。奥さんの方は、まるで絵なんか見ようともしないで、床を見つめたり、天井を見上げたりしているのです。わたしはそんな不謹慎な絵の見方に腹が立ち、絵のまえをはなれて、会場におかれた椅子に腰を下ろしました。
そして遠くから二人を見たとき、衝撃で体が硬くなり、熱いものがこみ上げてきました。
おくさんは盲目だったのです。それから私は密かに、最後まで二人のあとをついて歩きました。だんなの語りが、おくさんの中でどんなイメージを展開させているのか、それを知るすべはありませんが、二人が創り出していた濃密な世界は、キャリントンの世界そのものでした。彼女の内に繰り広げられた作品は、私が目で見たキャリントンよりも、はるかに深い魂のひびきがこめられていたにちがいないのです。
キャリントンの絵をもっとたくさん見たい方は、you tubeでleonora carringtonを検索して見てください。
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9 月 19th, 2008

住んでる村から数キロはなれた町にスーパーがある。かなり広範囲から客が集まりはやってます。その店先に、飲み物の自動販売機とならんでベンチがおいてありますが、そこは老人たちの社交の場であります。いつも似たような顔ぶれのおっさん達が、タバコをすったり、缶ジュースをのみながら集っています。
さて今日のことです。バイクでそこに買い物にいき、ベンチからちとはなれた所にバイクを置き、店の入り口に張り出された安売りのチラシをみていると、ベンチの人たちの話し声が耳にはいった。「ありゃあ、どこのひとだい?」と一人。「あれか、ありゃあ東京からきてる絵描きだ」ともうひとり。そして他のもうひとりが補足した。「おかんと犬と猫がいるだぁ、東京にゃあむすこの夫婦と孫が二人」「時々むすめが来てるなぁ、、、」「ありゃあ娘じゃねえ、絵のべんきょうに横浜からくるでぇ」わたしはだれとも面識はなく、もちろん挨拶したこともない。しかし情報は正確です。いなかの情報網おそるべし!
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9 月 18th, 2008

この蝦蟇子さんも人力宇宙船の乗り組みの一員です。冬は小屋のえんのしたあたりに穴を掘って寝ているらしいけど、聞いてもはっきりしたことは教えてくれないのです。毎年初夏のころに、寝床から出てくると、まず初めに私のとこへ挨拶にきてくれます。
それがもう10年以上続いてます。ガマというものは人の言葉をとてもよく理解するもので、彼女が寝ていた冬のあいだのできごとを、わたしは彼女に報告します。彼女は、話の内容によって目を閉じたり、いずまいをただしたり、ぐっと身をのりだしたりしてあいづちをしてくれます。
そんなの信じられないという人には、次のお話を紹介いたしましょう。
ある日ガマが庭のうえこみからのっそり出てきて、おれと目が合った。おれは「こんにちは」と声をかけた。ガマはうなずいて立ち去った。そこへ女房がきたので「ガマは人間のことばが分かるぞ」と、いうと「そんな馬鹿なっ!」と女房がいった。
そこへまたガマが出てきた。こんどは二匹だった。おれがまた「こんにちは」というと、二匹目のガマが「あっ!ほんとうだッ!」と、ちいさく叫んだ。
信用できる友人の話です。
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9 月 16th, 2008

にわの片隅にさくらの苗木をうえた。すると、道をへだてた裏のたんぼのばあさんがやって来て「いまに大きくなると雀の巣になるから苗木をぬけ!」とどなった。「心配するなばあさん、そのまえにばあさんは土のしただ!」と、おれもどなりかえした。
村の母ちゃんたちが整体名人の俺に助けをもとめてやってくる。なかのひとり、かえりがけの庭で大声をあげた。「絵描きさん、これもらってもいい?」見ると、買ってきて植えたばかりの大事な草花が、すでに根こぎにされ熊のような手につかまれていた。
ある日もうひとりの母ちゃん。秋に十個うえたチューリップの球根が、我が家のにわで花を咲かせたのを見て「あ!これ、あしたうちの子に学校に持たしてやろう。いいよね絵描きさん!」数日後、彼女の家にいったら、庭に数十本のチューリップがさいていた。
またべつの母ちゃん。うちへくるとかならず鍋のふたを全部あけてみる。そしてなかみが何であれ、手でつまみ食いして奇声をあげる「てッ!」最後に冷蔵庫の中を見る。そして「てッ!」かえりにきまっていう。「いますぐ、なになにを持ってきてあげるネ」だが持ってきたことはない。
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